一般社団法人 豊かな暮らしラボラトリー

島根県 益田市

幸せな暮らしをデザインする

代表理事 檜垣 賢一さん

多様な価値観があふれる街づくりを目指す一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー(通称ユタラボ)。他の団体とは違う切り口で、幸せの形を探して行くユタラボはなぜ生まれたのか?どんな未来を描いているのか?代表の檜垣さんにその想いを伺っていきます。山口、東京、そして益田市、それぞれの環境で幸せの形を探し続けた檜垣さんの言葉は、これから社会に羽ばたく方にとって、貴重なことをたくさん伝えてくれるはずです。


 

― ユタラボの理念を教えてください。

ユタラボは子供から大人、シニア世代まで、多くの人が自分にあった幸せの形を見つけ、豊かな暮らしを送るためにサポートを行っている団体です。今までは都会に出て、朝から晩まで仕事に没頭するような暮らしが当たり前でした。しかし、これからは仕事やプライベートの時間を自分でコントロールし、一人ひとりが自由に生活をデザインできる時代がやって来ます。では、どうすれば幸せになれるか、どうすれば豊かな暮らしを送れるのか。それを様々な地域、年齢の人と共に考え、答えに向かって伴走していくためにユタラボは設立されました。

名称にあるラボラトリーとは実験場という意味です。私たちは豊かな暮らしの価値観を決めつけたり、押し付けるのではなく、一人ひとりが自分なりの幸せのものさしを見つけるために考え、共に実践していこうという思いで活動しています。



―具体的な事業内容を教えてください。

ユタラボは “人づくり事業”と“場づくり事業”を展開しています。“人づくり事業”では、ユタラボが益田市内の小中高校と連携し、子供達と地域の大人が語り合う機会の提供、子供達が地域に出て、地域づくりや行事に関わる活動の支援をしています。

年間30件ほど、学生との対話機会を提供していますが、他県の人ばかりに頼らずに市内の大人に手伝ってもらっています。私たちの価値観に共感した地域の人が手伝ってくれることで、外部から人を募らなくても持続できる体制を整えています。また、子供達だけでなく、大人向けにも“人づくり事業”を展開しており、益田市役所や市内民間企業の新規採用職員、社員研修のサポートも行なっています。 大人になってからも継続的にサポートをする活動は全国的にも珍しいと思います。



―場づくり事業ではどんなことを行なっていますか?

“場づくり事業”では、私たちの拠点でもあるユタラボオフィスを活用した居場所づくりに取り組んでいます。このオフィスはイベントの利用以外に自習室、コワーキングスペース、溜まり場としても活用されており、学校や職場、家以外で自分らしくいられるサードプレイスとして機能しています。こうした何にも縛られない時間、場所を求めて色々な人がユタラボオフィスを訪れます。高校生だけでも毎月150人も利用しているんですよ。



―地域住民に愛されているんですね。次にユタラボ設立の経緯を教えてください。

ユタラボの設立前、私は東京から移住し、益田市教育委員会でライフキャリア教育コーディネーターを4年間勤めていました。ユタラボ設立には様々な経緯がありますが、私が幼少期から青年期に経験したことが一番大きなきっかけになっています。

私は山口県の新興住宅街で育ちました。そこは人の繋がりも薄く、物質的な豊かさこそが幸せだと考えていました。そのため、小さな頃は山口を東京のようにモノがあふれる街にしたいという夢を抱いていたんです。そんな”幸せのものさし”しか持っていないまま、大学進学を機に、憧れの東京に住むことになります。しかし、東京の生活は思っていたものとは大きくかけ離れていました。朝から晩まで働き、家庭の時間がほとんどないサラリーマン。娯楽施設に行くためにアルバイトをする学生。みんながお金に縛られた生活をしている。そして競争社会の中で多くの人が辛い思いを抱えていたんです。その姿は決して幸せと呼べるものではないと感じました。

今までの”幸せのものさし”は間違っていたと感じ、モヤモヤした気持ちで大学生活を送っている時に、地方創生という言葉が生まれました。そこで本当の地方創生とは何かを考えた時に、物質的な豊かさを地方が目指しても東京の真似にしかならないこと、そしてそれでは幸せな生活を送れない人が生み出されてしまうことに気づきました。本当の地方創生とは、それぞれの地域が自分にあった方法で魅力を磨き、互いを認め、素敵だと言い合えることではないかと思ったんです。

それから私の夢は物質的な豊かさの追求から、みんなが違う価値観を持ち、多様性に富んだ社会を作ることになりました。その夢を実現するフィールドを探す中で、益田市からお話をいただき移住することになったんです。



―なぜ様々な自治体がある中で益田市を選んだんですか?

私が益田へ移住する1年前に、益田市長がライフキャリア教育に取り組むという宣言を出しました。益田市の掲げるライフキャリア教育とは18歳までの間に様々な大人との出会いを創出し、いろいろな価値観を知ってもらうことで、日々の目標に対し能動的に生き、自らの可能性を広げることのできる人を育てるというものです。

この宣言では益田に住むことを強要するような内容はなく、ライフキャリア教育を通して、人を育てることに焦点を当てていました。こうした価値観が、私の考える多様性を認めるという価値観に近く、強く共感できたので益田市への移住を決めました。

―益田市に来て最初に感じたことを教えてください。

益田市に来て物質的な豊かさとは違う、新しい幸せの形に出会えたと思います。ここでは人の繋がりが強く、立場や仕事に関係なくみんなが語り合い、助け合いの中で生きていくという幸せの形があったんです。幼少期から経験できなかった人の繋がりが、これほど暖かく、魅力的なものだったんだと気づけました。



―そこからユタラボ設立したのはなぜですか?

益田市は過疎という言葉が初めて生まれた地域です。そんな益田に初めて訪れた4年前、多くの子供が、昔の私と同じように自分たちの住む街を卑下し、都会に憧れていました。その時に気付いたのが、幸せとは住む環境は左右されず、自分の見方を変えなくてはいけないということです。

そこから私はライフキャリア教育コーディネーターとして、この街だから得られる幸せ感や様々な気づきを子供たちに与えて来ました。ですが、本当に魅力あふれる街を作るためには、今のままでは足りないと気づいたんです。この街には子供たちと同じく、自分の街に誇りが持てていない大人が多くいます。そのため、世代を超えて自分の街に誇りを持てる人を増やす必要があったので、ユタラボの設立に踏み切りました。

―実際にユタラボの活動の成果も出て来ていますか?

学生から大人まで、少しずつやりたいことに挑戦する人が増えています。高校生が主体となってアクセサリーのワークショップを行ったり、益田ケーブルテレビで子供達が月1のテレビ番組を作っています。さらに30代の男性が、同世代で集まる機会の少なさを変えたいと考え、定期的にコーヒーワークショップを開催したり、学生時代に哲学を専攻していた人たちで、哲学について語り合うカフェを定期的に開いたりしています。



―ユタラボの活動が実り始めているんですね。最後にビジョンを教えてください。

理想の街を作り、それを持続して行くためには新しく益田に住む人の協力も必要です。そこで、関係人口の創出や県外の方に益田の魅力をもっと知ってもらえるような事業を行なっていきます。現在東京の旅行会社とコラボしたり、益田市の暮らしに興味がある方々の移住体験の受け入れも行なっています。また、移住者への働き口として、曜日ごとに市内企業を周り、様々な仕事に携わるマルチワークのプランも考え中です。同じ企業に週5で勤めてもらうとなると、企業側も成果を求め、せっかくの移住者を単なる労働力として見てしまいますし、移住者もお金と仕事に縛られてしまいます。そこでユタラボが間に入り、いいバランスで企業も人も過ごせる制度を作ります。

また、ユタラボの価値観を全国に広めていきたいです。ユタラボの名称にはあえて益田市という言葉を入れていません。これは地域を限定したくないからです。私たちが考える多様性のあふれるまちづくりはこれから全国的に求められる考え方だと思います。まずは益田市内に多様な価値観を育てていますが、将来的には全国に私たちに共感してくれる仲間を増やして行きたいです。

困った人の心の拠り所を目指して