ありふく よしだや

島根県 江津市

本物の温泉をご堪能あれ

女将 佐々木美弥子さん

日本の長い歴史の中で大切にされてきた“伝統“は沢山あります。有福温泉のお湯もその一つ。1300年という長い時間の中でも決して途切れず、現代に伝えるのが「ありふくよしだや」です。女将の佐々木さんによしだやで味わえる温泉の魅力と、次の時代にどう伝統を残していくのか、その未来について聞いていきます。


 

―有福温泉はいつ頃からあるのですか?

1300年以上前、聖徳太子の時代にこの地を訪れた修行僧の方が、お湯が湧き出ているのを見つけたのが起源だそうです。古くから長期間滞留して温泉療養を行う湯治場として、多くの方から愛されているお湯です。よしだやはそんな有福温泉の地で、江戸時代に創業、300年以上も続いている老舗旅館なんです。

―300年以上!よしだやがそれだけ長く愛されている理由を教えてください。

 よしだやの温泉は100%源泉のお湯を使用しています。有福温泉で敷地内に源泉が湧き出ている旅館はよしだやだけなんです。ここでは湧き出ている源泉を、そのままお風呂の浴槽の中に入れているので100%の源泉が楽しめるんですよ。温度も泉質も適しているので、熱や水を加えて温度調節をしたり、塩素も一切入れていません。循環もしていない本物の温泉です。

このお湯はよしだやにしかない特徴ですね。このお湯を求めて訪れるのは、温泉好きの方はもちろん、芸能人や総理大臣なども来たことがあります。

―この源泉は効能も高いんですか?

 泉質は皮膚にとても良いと言われています。その上質さは天然の化粧水と称されるほどで、美肌の湯としても有名なんですよ。アトピーの赤ちゃんを連れて来られた方からは、家のお風呂に入ると痒くて夜通し泣いてしまうのに、ここおのお湯に入ったらぐっすり寝てくれた、そんなお言葉を頂いたこともあります。

それだけここの湯は柔らかく、皮膚に浸透するんです。それだけ鮮度の良い、素晴らしい温泉なので、もっと多くの方に気軽にこのお湯の良さを知ってもらいたいと源泉を使用したミストを商品化しました。乾燥する時期にはすごく良いですよ。東京へ出荷した分はもう完売していますし、お土産で買って行ってもらったものが北海道で広まって、北海道まで送って欲しいという依頼があったほどです。

ここの源泉が県外に、それも一番北の北海道まで届くなんて信じられないですし、本当にありがたいなと感じますね。娘が若女将として帰ってきてくれてからは、ミスト以外にも商品を作ろうということで化粧品ブランドの会社も立ち上げたんです。より多くの方にここのお湯の素晴らしさを伝えていこうと考えています。

―今後は温泉に入るだけじゃなく、様々な形でこのお湯を楽しめるようになっていきんですね。佐々木さんは女将としていつ頃から働かれているんですか?

夫との結婚を機に、よしだやに嫁いで来ました。以来37年間、女将として働いています。旅館に入ったばかりの頃は姑さんがいなかったので、接客の仕方など、旅館の心得を教えてくれる人が誰もおらず苦労しました。他の宿の接客を参考にしながら、挨拶の仕方や、お客様に喜ばれる言葉がけを少しずつ覚えていったんです。そんな状態だったので、最初はお客様への応対が至らなかった時もあったと思います。

そこで、何も知らない自分がお客様にできることを考え、迎え入れる気持ちを表すために笑顔でいようと思ったんです。どんな時でも笑顔で、気持ちを込めて応対をしていたら、お客様に伝わったみたいで「いつ来ても笑顔がいいね!」と褒めていただく事が増えていきました。笑顔って心を体を癒しに来てくださった方々には大切なんだと実感し、それからは従業員にも笑顔を大切にするようにしてもらっています。

―笑顔で応対してもらえると、こちらも元気をもらえますよね。今もお客さんの対応を中心にお仕事されているんですか?

 昔は表に出て、お客様の対応をしていましたが、今は裏方を中心にやっています。電話番や洗濯物をしたり、風呂の桶を綺麗に並べたり。ちょっと気がついた雑用とかを積極的にやる事で、若女将や従業員がだんだん何をしなくてはいけないか、旅館をうまく回すために細かな仕事はいつやるべきなのか、私の姿を見る事でわかってくるんですよね。もちろん知った顔やリピーターが来られた時には、お迎えと見送りだけはするようにしています。私が裏方を守る事で、若女将に表の役に専念してもらい、一つずつ旅館を彼女の色にしていったらいいと思ってます。

―かっこいいですね!
でしょ(笑)

―娘さんは若女将になる前は東京で働いたとお聞きしました。戻ってこられるまで、女将として表も裏も両方の仕事をするのは大変だったんじゃないですか?

 旅館が一番忙しいのって、 5月、7月、8月なんです。その中でも特に夏休みの時期が忙しい。ここから20分もいけば海も水族館もあるので夏休みになると家族連れの方が増えますし、学生さんの遠征試合や合宿の予約が入るとかなり慌しくなります。

ですから娘が東京にいる頃は大変でしたね。娘が帰省する時期はちょうど旅館の忙しい時期と同じタイミングです。だから仕事を手伝ってもらうという選択肢もありましたが、日頃東京で一生懸命働いていて、休みで帰省してるのに忙しいのを理由に旅館の仕事手伝わせるなんてできないですから。自分のお城は自分で守らなきゃっていう気持ちで働いてましたね。

―娘さんが若女将になる前に、継いで欲しいという気持ちや旅館の未来について考えられていたことはありますか?

 娘が大学を卒業して東京に残るって言った時には、こっちに帰ってきて手伝って欲しいって言おうと思ったんですけど、なかなか言いだせませんでした。旅館の仕事は楽しいことも多いですが、当然しんどいことも多いんです。親としても子供の運動会とお客様のお見送りが被っていて見にいけなかったり、夏休みの家族旅行にもいけない。娘は小さい時にすごく我慢したと思いますし、私もそれが親としてとても苦しかった。だから娘が望まないのに、無理やり継がせるのにはすごく抵抗感があったんです。娘も若女将になる決意をするまですごく悩んだと思います。でもよしだやを私の代で終わらせて良いのかという葛藤もありました。

―最後に今後女将として、旅館をどうしていきたいか、教えてください。

有福温泉街には旅館やホテルが大小合わせて20軒程度ありましたが、今では3軒しか稼働しておりません。この街の活気が失われていく姿をみて、本当に寂しくなりました。 でも若女将が戻って来て、テレビの取材を受けたりする中でお客様が少しずつ戻ってきているんです。今はインターネットやメディアが発達していて、若女将が中心になってくれて、様々な方面からの取材や予約に対応できるようになりました。私も歳を取って、気持ちはすごく若くても体が追いつかなくなりました。

ただこの本物のお湯を後世に残したい、街を活気づけたいという気持ちはしっかりと持っています。だから若女将や若いスタッフがやりたいことができるよう裏方で支えながら、お客様にはこれからも笑顔でお迎えをして、私たちが宝物だと思っている良い温泉に入っていただき、笑顔でお見送りをしてお客様にも笑顔になって帰っていただく。よしだやが提供できる魅力を次の世代のみんなとともに残していきたいと思います。

伝統ある温泉街を守りたい