株式会社 隠岐プラザホテル

島根県 隠岐郡

お客様、地域、それぞれの喜びを創造するホテルを目指す

代表取締役社長 横地 廉平さん

隠岐の島でホテル、旅館、ゲストハウスを運営する株式会社隠岐プラザホテルは、地域の活性化を目指し、隠岐の島町でしか体験できない新しい観光の創出にチャレンジしています。

どんなビジョンを描き、挑戦を続けているのか、代表の横地さんに詳しく教えてもらいました。

地域活性化に貢献したい、人に感謝されることが好き、そんな方にぴったりの仕事です。


 

―隠岐プラザホテルの事業概要を教えてください。

株式会社隠岐プラザホテルは島根県の離島、隠岐の島町で「隠岐プラザホテル」、旅館「羽衣荘」、ゲストハウス「Hito_Naka港町」「Hito_Naka西町」の3ブランド、4施設を展開しています。

 

―それぞれの宿泊施設について教えてください。

1972年の創業時から運営している隠岐プラザホテルは、隠岐の島の玄関口に位置し、過去には皇室の方々や政財界、各分野の著名人なども宿泊した、地域を代表するホテルです。

アクティブに島内を巡りたいという方より、利便性の良いホテルに泊まり、ホテルの食事や部屋からの景観、近隣の観光を楽しみたいといった方向けの施設となっています。

 

―羽衣荘について教えてください。

羽衣荘は、隠岐諸島で最も海に近い旅館です。隠岐の島では初めてのグランピング施設も併設しています。リゾート的なゆったりとした空間で、思い思いの楽しみ方ができる自由さが魅力です。

羽衣荘は元々、隠岐の島町保有の宿泊施設でした。運営は町が出資した第3セクターの会社が行なっていましたが、経営がうまくいっておらず、解散することになったんです。そこで新たな施設管理者として当社が立候補し、2018年から運営しています。

 

―Hito_Naka港町/西町について教えてください。

Hito_Nakaブランドの2施設は、古民家を再生したゲストハウスです。2021年にHito_Naka港町、翌年にHito_Naka西町をオープンしました。港町、西町どちらとも、島を流れる八尾川沿いに広がる商店街の一画にあります。

ブランドテーマは、地域協働による繁栄共存です。島の暮らしや息遣いをダイレクトに感じられる点が魅力となっています。国内だけでなく、海外の方からも好評で、リピート率も非常に高いです。

 

―3つのブランドを運営することで、お客様のニーズに合わせた様々な楽しみ方を提供しているんですね。会社の歴史を教えてください。

株式会社隠岐プラザホテルは1971年6月に設立されました。創業者は私の祖父にあたる横地治男です。彼は隠岐の島出身で、戦時中は満州に、戦後は帰国し、神戸で塗料卸売業の会社を起業しました。その会社は高度経済成長期の影響もあり売り上げも上々で、創業者は利益の一部を故郷への恩返しに使いたいと思ったそうです。

当時は国内旅行が人気で、各地でもリゾートホテル開発が進んでいた時期だったこともあり、隠岐の島にもリゾートホテルを作ろうという方向性で話が進み、隠岐プラザホテルを創業しました。

私は2021年から3代目として社長を務めています。

 

―社長の経歴を教えてください。

私は当社が創業した1年後に、大阪で生まれました。その後、創業者の長男だった父が隠岐プラザホテル社長を勤めることになり、すぐに隠岐の島へ移住しています。

高校からは東京の学校に通い、大学を卒業後、横浜のホテルに入社しました。そのホテルでベルボーイやフロント、販売促進課といった部署を経て、2000年から当社で働いています。

 

―前職からホテルで働かれていたんですね。会社を継ぐつもりで、ホテルに就職したんですか?

私は3兄弟の末っ子だったので、会社を継ぐ気はありませんでした。ただ、小さい時からホテルで働く両親の背中を見ていましたし、スタッフみんなに可愛がられながら育ってきたので、ホテルという存在がとても身近だったんです。そうした環境で育ったこともあり、就職活動を始める時には自然とホテルで働きたいと思っていました。

 

―会社を継ぐ予定のないところからなぜUターンし、会社を継がれたんですか?

当時、当社の経営は社長の父と2人の兄が行っていたのですが、3人とも宿泊業未経験者だったのでかなり苦労していたんです。そうした状況を変えるため、他の宿泊施設を経験していた私に戻ってきて欲しいと連絡が来ました。

横浜のホテルで過ごす日々はとても充実していましたし、社長からも可愛がられていたので、戻るかどうか悩んでいたのですが、一方で「面白そうだな」という気持ちもあったのでUターンを決意しました。

その後、父が亡くなり、兄たちから私が会社を継ぐべきだと背中を押されて社長になりました。

 

―都会のホテルと島のホテルで違いを感じることはありましたか?

都会のホテルと離島のホテルではお客様が私たちに求めているものが違いましたね。私が隠岐プラザホテルに戻ってすぐ、お客様から「あなたは言葉も綺麗で接客も礼儀正しい。でも隠岐の島に来た感じしないんだよね。」と言われたんです。その言葉はかなり衝撃的でした。

それまでは横浜のホテルで学んだ通り、お客様と一定の距離を保ちながらスマートな接客をしていたのですが、それは隠岐の島にいらっしゃるお客様が求めているものではありませんでした。お客様が求めていたのは島だから味わえる非日常、島ならではの空気感だったんです。

そこからはお客様から荷物を預かるときも、「お母さんの荷物重そうだから、私が代わりに運びますよ」といった感じで、世話好きな近所の人のような距離感で接客するようにしています。

 

―戻ってから会社をどのように変えていきましたか?

私が戻った頃はシステムやオペレーション面が整っておらず、スタッフ同士のコミュニケーションも不足しており、あまりいい状況ではなかったですね。

その一方、従業員は隠岐プラザホテルの事を大好きな人ばかりで、すごくいいホテルだなとも感じました。

やり方がわかっていないだけで、すぐにでもいいホテルにできるという確信はありましたが、いきなりやり方を変えていっても反発が生まれてしまいます。そこで、最初の3年はどこを変えるべきかを分析しつつ、スタッフとの関係性を築くために時間を使っていましたね。

そこから徐々に変えていき、現在は他のホテルと比べても負けない、“隠岐プラザホテルらしさ”を感じられるいいホテルになったと思っています。

 

―具体的にどんなところを変えていったんですか?

一番大きく変えたのは、スタッフが何を目標に働くのかを示すため、経営理念を新しく掲げたことです。

当社には創業時から「喜びの創造」という企業理念があります。経営理念はその企業理念を取り入れつつ、“私たちの生業とは何か”を定義するために「新しく自由な発想と創造を源として食・もてなし・設え(しつらえ)から喜びと笑顔を提供します」というものにしました。

スタッフには、ここで掲げる3点を磨くことで、人間としての成長するのはもちろん、給料も増えるので、それぞれの分野のプロフェッショナルになれるように、日々鍛錬しようと伝えています。

ゴールが見えず、何のためにやっているかわからない仕事は面白くないですし、私たちの仕事は対お客様なので明確なゴールはありません。そうした環境でも情熱を持って働き続けてもらうために、経営理念という指標が必要だったんです。

 

―他に、スタッフへよく言っている言葉はありますか?

私は「ホテルマン全てが表現者(アクター)であるべき、そして他人より常識人であるべき」だと考えており、そのように振る舞うことを社員には指示しています。

この仕事は表現することが生業です。お客様に自分から「おはようございます」「いらっしゃいませ」「お待ちしていました」と声をかけ、そこに感情や表情、目線、動きを乗せる、それが接客です。

また、ホテルの仕事は人よりも常識を求められます。常識とは人によって違うものなので、誰からも常識があると思われるためには、物事を俯瞰し、客観的な思考を持つことが必要です。

そうした能力を身につけた先に、企業理念でもある「喜びの想像」が実現できると考えています。

 

―今後のビジョンを教えてください。

隠岐の島の魅力を四季ごとにブランディング化し、観光水準の平準化を測ります。隠岐の島は5月〜10月が繁忙期で、冬の時期は閑散期となり、売り上げも1割程度まで下がります。今後も当社が持続し、発展していくためにはこの閑散期を無くさなくてはいけません。

しかし、このビジョンを達成するためには当社だけでなく、地域の方々の協力が不可欠です。そこで当社では地域協働による繁栄共存をミッションに据え、お客様、そして地域の幸福度を最大化することを目標に「OKI PLAZA SEA GATE」という新たなブランド構想を立ち上げました。

 

―OKI PLAZA SEA GATEについて教えてください。

これは隠岐の島を訪れるゲスト向けに提唱する新たなブランドコンセプトです。当社の運営する3ブランドに地域という+αが掛け合わさることで、地域全体で活性化し、持続可能な社会を作ることを目標にしています。

このコンセプトにおいて、当社の運営する宿泊施設は地域の玄関であり、地域の情報が集積する場所として定義しています。隠岐の島の玄関口である私たちの元に、地域の情報・魅力が集まり、それに触れた人々が地域に出かけていく。そんな新しい観光のカタチを創出することで、隠岐の島全体の活性化を目指します。

 

―ブランド構築にとても力を入れているんですね。

宿泊業にとってブランドイメージはとても大切なので力を入れています。宿泊施設のデザインはもちろん、ホームページやSNSまで、お客様に「泊まってみたい」と思っていただくため、細部までこだわっています。

Hito_Nakaでは地域協働による繁栄共存というコンセプトも魅力の一つと考え、コンセプトブックも作成しました。このコンセプトブックは山陰広告賞2023において、パンフレット部門の銀賞も受賞しています。

 

―現在募集している職種とそれぞれの仕事内容を教えてください。

当社には営業部、調理部、総務部という3部署があり、営業部、調理部で人員を募集しています。

営業部はホテルのオペレーションである接客・フロント・配膳、清掃といった業務を行う部署です。担当する宿泊施設は決まっていないので、ホテルも旅館もゲストハウスもマルチに関わります。冬の閑散期は来季に向けたツアー造成や旅行会社と打ち合わせなども行います。

調理部はお客様が召し上がるお食事全般の調理が業務です。経験者はもちろん、未経験者も歓迎しています。

どの部署でもスキルを磨くために書籍を買って勉強したい、資格を取得したいといった場合はしっかりサポートします。他にも住宅補助など、離島での暮らしをサポートするための福利厚生も用意しているので安心してください。

 

―最後に、希望する人材について教えてください。

「ありがとう」という感謝の言葉を言われて、幸せを感じる人に入社して欲しいです。

私たちはお客様の喜びを創出するため、細部までこだわったサービスを提供しています。その原動力となるのが、お客様からいただく感謝の言葉です。感謝の言葉が力となることで、より良いサービスを提供しようと努力できるようになり、その努力が新たな感謝の言葉へとつながっていきます。感謝の言葉があって成長できる、その循環の中で働けることが、この仕事の魅力です。

新しく入社する皆さんには自由な発想で、お客様と地域のために何ができるかを考え、行動してもらいたいです。お客様だけでなく、私たちや地域も、みんなが幸せになる未来を目指し、共に頑張りましょう。

なりたい自分が見つかる場所